インタビュー/長谷川 誠
ROLL-B DINOSAURメンバーが語る、ふるさとの思い出
──ふるさとについての思い出を教えていたきたいのですが、織田さんは中学時代、ロンドンでも過ごしています。故郷というと、どの街が浮かびますか?
俺の場合、高知が大きいですよ。住んでたのは中3高1の2年間だけなんですけど、元々親が2人とも高知なので、夏休みや正月に帰るのは高知だったし、親戚もみんな高知だし。高知の風景は自分にとって特別なものではありますね。基本は田んぼと山ばっかりなんですけど、そこがいい。ある意味、2年間しか住んでなかったから、逆に、高知を大事にしたい気持ちがあるのかもしれない。高知で育ったヤツって、高知を捨ててあんまり帰らないっていうヤツも結構いるんですよ。でも自分にとっては特別な場所だし、土佐弁をしゃべれることは大事にしています。英語はだいぶ忘れたけど、土佐弁と標準語は今でも結構バイリンガルなんですよ。高知に行くと、すぐ土佐弁になります。
──ASAKIさんはふるさとというと?
故郷と言われると、札幌になりますね。風景で思い出すのは、タマネギ畑がまわりにあったこととポプラ並木があったこと。その後、青森に引っ越したんですが、その時は南部弁を使ってました。覚えないと、授業がわからなかったので。
しゃべれるの?
惜しいんですって。75点ぐらいなんだって。まあ、合ってるけど、イラッとくるって。ふるさとと言っても、あまりピンと来ないんだけど、札幌の当時の仲間とのつながりは大事にしてますね。コンサートに行くたびに会いに来てくれるし、ROLL-B DINOSAURでもいつか行けたらいいなと思っています。
──JOEさんは故郷というと?
ずっと神奈川に住んでいて、両親もばあちゃんも東京だったので、あまりふるさとという感じはしないですね。ふるさとって言うと、各地のライブハウスを思い出します。帰ってきたね、また会えたね、みたいな感覚があるので、ふるさとっぽいという。
──ふるさとがたくさんあることになって、いいですね。ユカイさんは?
俺は生まれは東京なんだけど、青春時代を埼玉で過ごしたので、やっぱり埼玉ですね。で、俺のふるさとって、お袋なのかもしれない。今は俺の心の中にしかいないけどね。お袋自身、埼玉に根ざしてた人だったし、実家も埼玉の北の方で、かつては大庄屋だったみたいだし、埼玉にはいまだにお世話になってるので、何か縁を感じる。それは今住んでいる栃木県佐野市にも言えることなんだけど。前世とか祖先とかが関わってたんじゃないかなって。自分の祖先をたどっていくと、栃木で代々続く家系に繋がっているらしいので、そういう縁は大切にしたいですね。
──CHERRRYさんは浜松なんですよね。以前(LINDBERGでのインタビュー時)、「楽器の街」とおっしゃってましたが。
カワイもヤマハもありますからね。高校卒業して2年間は普通のサラリーマンをやってたんですが、ヤマハの下請け工場の業務管理にいたんです。実家は浜松とは言え、海のほうなんですよ。天竜川の河口近くの遠州灘っていう砂浜に近いとこだったので、何かあるとすぐ海に行ってました。海を見ると、落ち着くという。
羨ましいな。俺の場合、栃木も埼玉も海なし県だから。だけど海鮮丼が好きなんだけど。
逆にね、ないからこそ、価値を見いだしてるのかもね(笑)。
編集部:離れていてもその土地のことが心のふるさとになってらっしゃるんですね
JOEさんが「ふるさとって言うと、各地のライブハウスを思い出します」とおっしゃっていましたが、
これからROLL-B DINOSAURで各地を巡って、さらにふるさとが増えますね!
みなさん、ありがとうございました!
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