GOATBED・石井秀仁が初めて行ったライブは?
編集部:石井さんが初めて行ったライブを教えて下さい!
「地元の人たち」
地元の人たちが出てたライブですかね。出てたバンドを見るのが目的じゃなくて、ライブハウスという場所に行きたいというのが目的で行きました。ライブハウスに行くのが目的だったから、そのとき見たライブがどうだったかとかはまったく憶えてないですね。それが、13歳のときですかね。
場所は(もう閉店してしまった群馬のロックシーンを長年支えてきた)あの前橋ラタン。最初から有名なところに行ってしまった感じですね。それまでまったく未知の世界だったライブハウスを見たら、いまから3年も5年も待つなんて考えられないから、明日ここに出たい。明日ここのステージに立つにはどうしたらいいんだ。そういうことを考えて、行動を起こしてました。若い頃ってずっとそういう考えだったんですよ。だから、16〜17歳で東京に出てきたし。全然いまみたいな感じではなかったんですよ。すごい前のめりでね。生意気なクソガキでした(笑)。あ、生意気なのはいまも続いてますけど。ぐふふっ(含笑)。
その頃から曲もコピーとかは一切やらないで、最初から自分で曲を作って。曲を作る機材もMTRとかリズムマシーンとかを一式揃えて。音楽に関してはとにかく前のめりで真面目だったんですよ。ちゃらちゃらして音楽をやるんじゃなくて。音楽やるなら、俺はオリジナルの曲を自分で作りたい。曲を作ったら、ドラムとかは全部自分で打ち込みたいし、楽器も全部自分で演奏したいし、歌いたいし、レコーディングをした。そういうことがやりたかったんですよね。
だから俺、最初から「歌」がやりたかった訳じゃないんですよ。たまたま「歌」になっちゃった。よくあるパターンですよ。「バンドやろうぜ!」ってなって。俺よりもギターがうまい人がいたから「じゃあお前は歌えよ」「歌かよ(苦笑)」みたいな。そういう流れでボーカルをやりだしたんです。自分で作って歌ったデモテープを聴かせたりしてたから「歌え」ってなったんだと思うんですよ。でも、それも自分が歌うために作ったんじゃなく「作曲」をしたくて作ってたんで。だから、いまも曲を作るときは自分が歌うことなんて一切考えないで作曲をするんです。自分の声のキーとか考えてメロディーを制限するのが嫌なんですよ。だから、絶対にメロディーを鼻歌で作ったりしないです。鼻歌で作ると、どれも自分が歌えるようなものになっちゃうんで。曲は曲として、ちゃんと作曲するんですよ。できた曲が歌えない曲でもいいんです。曲を作って、さあそれをどうしようかって。そういう考え方です。GOATBEDは。だから、一人じゃ歌えないような曲ばかりですからね。GOATBEDは(微笑)。声、何10本入ってるんですか? みたいなものばかりだから。
なので、たまにコーラスの人に入ってもらったとき、GOATBEDの曲を女性キーに変えて歌ってもらったりするとものすっごい新鮮で。俺が歌ったらこれぐらいしか曲の魅力は引き出せないけど、この人が歌ったらこんないい曲になるんだっていう発見がある訳ですよ。そういうのが楽しい。そう思ってるってことは、もっと実力があれば、作曲家。そういう道にいきたいんでしょうね。きっと。表に出てパフォーマンスするんじゃなくて。
って、作曲の話になっちゃいましたけど。大丈夫ですか?(微笑)
編集部:インタビューでも、女性ドラマーを2名入れたエピソードも話してくださっていましたね!
12月のライブがどのようなステージになるのか、今から楽しみです。
石井さん、ありがとうございました!
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