TEXT/横山シンスケ
コラム連載でも書いたが、2016年12月5日、闘病中だった黒沢健一が亡くなった。
黒沢健一は僕が店長を勤める、12月にお台場から渋谷に移転リニューアルオープンさせた「東京カルチャーカルチャー」(以下愛称のカルカル)の一番古いレギュラー出演者で、友人でもあった。
移転したカルカルを一番見せたかった健一くんの訃報を、僕はその移転オープン日に知る事になってしまった。健一くんは僕と「また必ずカルカルのステージに戻ってくる」と約束をしていた。
訃報ニュースが流れ、あまりに突然の事にファン達も僕もまだその事実を受け入れられないでいた。後日お別れの会をやる予定だと聞かされていたので、僕もそこには行こうと思っていた。
そんな時、健一くんのマネージャーの江口さんから電話がかかってきた。
「健一くんのお別れの会。やはりカルカルでやるのが一番いいという話にみんなでなりまして…」
僕は「えっ!?」と耳を疑ったが、そのあとすぐ「ありがとうございます!」と答え、嬉し泣きしてしまった。
健一くんがカルカルに帰ってくる!健一くんがカルカルのステージにもう一度上がってくれる!健一くんはやっぱり僕やファンのみんなとの約束を守ってくれるんだ!!
何度も書いたように、新しいカルカルを一番見せたかった相手は健一くんで、健一くんは僕と必ずもう一度カルカルのステージに戻ってくると男同士の固い約束をしていたのだ。そして僕もその約束を信じてがんばってきたのだ。
カルカルを選んでくれた江口さんやスタッフの方々への感謝ももちろんあるが、何より僕は健一くんが約束通り本当にカルカルに戻ってきてくれる事が嬉しかった。もう叶わなくなってしまったと諦めていた「健一くんとファンとみんなで、もう一度カルカルで会う」という約束を本当に果たしてくれる。黒沢健一とはそういう男なのだ。こんな嬉しい事はない。
そして1月23日(偶然、健一くんが亡くなってから四十九日だった)、『黒沢健一を偲ぶ献花の会』をカルカルで行う事となった。
当日。まず朝起きて、空を見て晴れてた事を僕は喜んだ。
健一くんはとても気づかいの人で、仕事でもプライベートでも、誰よりもまわりの人を気づかってくれるやさしい人だった。だからライブの日の天候もファンの事を思っていつも気にかけていて、晴れたライブの日の僕らの最初の会話は必ず「晴れてよかったね」だった。僕は晴れた空を見上げながら「晴れてよかったね、健一くん」と言った。
カルカルには早朝から本当に沢山の関係者やスタッフが集まり、みんなで会の準備をした。大きな祭壇が組まれ、沢山の白い花が飾られた。その祭壇の両サイドや会場の色んなとこにステージでのカッコいい「アーティスト・黒沢健一」の写真パネルが飾られたが、祭壇の真ん中にはインディアン柄のブランケットを肩にかけリラックスした表情の健一くんの写真が飾られた。
この写真の健一くんはステージでビシッとキメているロックミュージシャン黒沢健一の表情ではない。普段、楽しくお喋りしたりくつろいでる時にしか僕も見た事のない、やさしい健一くんの表情で、僕はこの写真が一番好きだった。実は、ご家族や関係者もみんな一番お気に入りの写真だったそうで、これになったという事だった。
そして日本中から集まってくれる沢山のファンのみんなに楽しんでもらおうと、スクリーンで健一くんのライブやミュージックビデオを流し、健一くんの写真パネルを何枚も作り展示し、L⇔Rや健一くんの過去のすべてのCDやレコードが飾られ、愛用のすべてのギターやハーモニカやマイク、L⇔Rの武道館ライブや2015年の赤坂ブリッツでのライブのステージ衣装、そして僕がいつも「味があって好き」とホメる度に健一くんがテレていた直筆のイラストもいくつか飾られた。
まずは関係者を集めての献花の会が行われた。
健一くんの好きだったゴキゲンな曲「Show Must Go On」がスクリーンに映し出された歌詞のテロップと一緒に流れる中、健一くんを心から慕い、サポートギタリストとしてライブにも参加した事のある俳優の徳山秀典さんが、ミッキーマウスに扮して登場、会場を和ませた。
そして、実弟でL⇔Rメンバーでもある黒沢秀樹さんが祭壇の前に立ち挨拶した。「兄はカッコいい事、楽しい事が好きだった。今日は昔の楽しかった思い出を皆さんと共有できたらと思います」と言い、L⇔Rの元メンバーの木下裕晴さん、嶺川貴子さんと一緒に最初の献花をした。そして関係者たちの献花の会が始まった。
僕はなにしろここの店長で、一応この場の責任者でもあるので、この日はビシッとして、そして笑顔でいようと決めていた。しかし献花のために関係者が集まりだし、一番最初に泣き出してしまったのは情けない事に僕だった。
「音楽はその音よりも、その音楽を聴いた時の景色で人間は記憶をする」そう何かの本で読んだ事があったが、その通りだった。
カルカルで何度も健一くんと二人きりのライブをやって下さったサポートキーボーディストの遠山裕さんの顔を見るなり、会場に流れる健一くんの歌声と共に、カルカルでの思い出がいくつもよみがえってしまい、涙があふれ出てきて上手く喋れなくなった。
僕が健一くんと知り合ったきっかけでもあり、ライブも担当し、一緒に修学旅行のような楽しい東名阪ツアーもまわった健’z with Friendsのメンバーとも久し振りに会えた。再会の嬉しさと、その再会の場所が健一くんとのお別れの会になってしまっているという悲しさにまたひとりで泣き出してしまい、肩を抱いてなぐさめられた。
同じく、カルカルで何度も一緒にライブをやった元マネージャーさんにも、互いを明るくするつもりで「健一くんカルカルに帰ってきてくれたね!」と笑顔で言おうとしたが、言った自分が嗚咽してしまい、ここでも結局なぐさめらてしまい、ホント散々だった。
沢山のそうそうたる関係者が多数訪れる中、献花は続いた。
横山シンスケ
49歳。お台場から渋谷移転したイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」店長・プロデューサー。その前10年間くらい新宿ロフトプラスワンのプロデューサーや店長。東京カルチャーカルチャー http://tcc.nifty.com/
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