以上です。あちこちに配信されるニュース的なテキストなので、できる限り主観は入れずに書きました。で、ここから主観でいきます。
はてしなく濃密な時間。「出し切る」ってこういうことなんだ
仮に、LEGO BIG MORLのことをまったく知らない人がこのライブを観たとして、それだけで「これこれこういうバンドなんだな」と判断されても、メンバー誰も不満に思わないのではないか。たとえネガティブな評価をされたとしても「いや、このライブで出してないこういう面もあるバンドやから!」というようなことは感じず、「ああ、このライブ観てそう思われたんならしゃあない」と割り切れるのではないか。
終わった時、最初に思ったことはそれだった。それほどまでに、いわば「すべてがある」ライブだった。「出し切る」ってこういうことなんだなあ、と、観ながら何度も感じた。
バンドの10年の歴史。そこで生み出してきた音楽。内的要因も外的要因もありつつの、音楽性の変化、書く曲の進化。ヒロキの腕の怪我による活動休止や、その期間にバンドの構造に変化が訪れたことや、レーベルを移籍しての再スタートに関してなどは、本人たちも言葉にしてきたのでくり返さないが、そういうようなことまですべて含めてこの22曲になっているような、はてしなく濃密な時間だった。
で、それ、この日の演奏がよかったからとか、パフォーマンスがすぐれていたからとか、そういう話ではたぶんない。もともと音楽的な基礎体力は高いバンドなので、そのへんがよかったのはべつにこの日に限ったことではない。
単純かつクサいことを言ってしまうが、気持ちの問題だと思う、ステージの上に立つ側の。要は、この日にかけていたということだ。で、それがそのままパフォーマンスに跳ね返っていたということだ。
何を思っているか、どんな気持ちを抱えているかで、演奏とかって全然変わるんだなあ、楽器っておもしろいなあ……って、おまえ何年音楽聴いてんだって話だが、そんな素朴なことを、つい思ってしまうほどだった。
この場にいたファンが共有してくれるかどうかわからないが、何かヒップホップのアーティストに近いものすら、僕は感じた。生き方とか考え方とかをそのままラップする感じ、つまり存在と表現がそのままイコールな感じ。
よく知っている曲、聴き慣れた曲、「RAINBOW」みたいに「このへんでこの曲やって大合唱」みたいなのが定番になっている曲が、どれも、まるでこの場で初めて聴くような新鮮さを放っていた。逆に、この日フラゲ日だった『心臓の居場所』の曲たちも、長年聴いてきたように耳になじんでいた。
『心臓の居場所』の曲がメインになる6月~9月のツアーも楽しみに待ちたい。6月15日渋谷O-CRESTで始めて、折り返し地点の7月21日に下北沢GARDENでやって、シメが渋谷WWW X、と、ちょっとずつ違うサイズのハコで東京が3本ある、というのもおもしろいし。