周年を1つ1つ言ってたら、毎年何かしらの周年に当たるんじゃないですかね(笑)。これまでの音楽人生を客観的に観ると、とても幸せな音楽生活を送らせてもらったという実感はありますね。まわりのミュージシャン、スタッフにも恵まれたからこそ、ここまでやってこれたわけだし、時代的にもCDバブルもあったし。
やっている側からすると、谷あり、谷あり、また谷ありみたいな感じですね(笑)。でもみんな、多分、そうなんじゃないですかね。意外と谷谷してる(笑)。でも俺の場合は、大谷翔平の二刀流じゃないけれど、音楽でやりたいことがいろいろあって、それぞれの形で認めてもらって、楽しくやらせてもらっているんだから、相当幸せなことだと思います。
元々音楽が幅広く好きだったんですよ。たとえば、誰かが好きで、この人みたいになりたいと思ったことは特になくて。音楽がどれもこれも大好きで、音楽に関わってることが幸せというのが中学高校のころからありました。T・レックスもニール・ヤングもカーペンターズも好きという。いろんなタイプの音楽と関わるには、必然的にプロデューサーにも手を出すしかなかったということですね。自分が歌うもの以外にも、いろんなものを作りたくなって、こうなったっていう(笑)。
自分の中にあるいろんな引き出しを開けて、スイッチを入れるっていう意味では一緒ですね。曲のタイプがどうというよりも、頭の中でその音楽が流れるイメージがあるかどうかが重要で。頭の中で素敵なものが流れたら、実際に作りたくなるんですよ。そこは自分の曲でも依頼された曲でも同じです。
何でもそうですけど、好きという気持ちが続くことが一番重要で。結局、好きであれば、興味の量も減らないと思うんですよ。そうすると、より良いものを求めたくなってくるんじゃないかと思います。より良い音楽を作りたい、より良い歌を歌いたい、より良い演奏をしたいっていう気持ちが曲を作る原動力になっていく。はたから見ると、努力しているように見えるかもしれないけれど、興味を持っていることをやりたいからやってるだけなんですよ。いい年こいて、いまだにギターの練習が好きだとかね(笑)。
正直言うと、年月を重ねた分だけ向上していると感じることが多いですね。なんだ、そうだったのか!って、音楽を作るたびにわかることがある。そういう意味では自分にとっては常に今がベストなんですよ。蓄積は確実に増えてきますから。
歌って、どうやっても、自分の奥行きみたいなものが出るんだと思いますね。曲作りでも積み重ねてきたものが大きい。その年齢その年齢での音楽の聴き方というのがあって。自分が若い時に、どういうふうに音楽を聴いていたかは、年を重ねてからも、ずっと覚えているんですよ。小学校の時、中学の時、30の時、自分はどう聴いていたか。俺が音楽を作る上でのテーマとして、今の自分が聴いた時に、素敵だと思えなきゃ意味がないんだけど、小学生、中学生、30歳の自分もいいと思えるものに出来るかどうか、両立させられるか、も重要なテーマなんですよ。例えば、若いアイドルに提供する曲を作っている時に、中学の時の自分に、「おまえ、この曲、かっこいいと思うか?」って問いかけながら作っていたりする。そうした各年代の自分との話し合いは常にありますね。
ありますよ。「おまえがそう言うなら、そうしよう」って(笑)。今の自分だけを優先するわけじゃない(笑)。遡って考えると、小学校の頃、俺はモンキーズが大好きだったんですよ。一番最初に買ったシングルもモンキーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」だった。あの頃も本格的なロックバンドがいたわけだけど、最初に好きになったのはモンキーズやモータウン・サウンドだった。ヒットさせるために作られているシングルに込められた思いみたいなものも好きだったんだと思いますね。いいメロディを作って、いいアレンジをして、いい歌を入れて、いい作品を作ろうよって。そういう姿勢が自分の中で音楽を作る根底にもあると思います。その後、レッド・ツェッペリンって、かっこいいなって、本格的なロックバンドを好きになったり、プログレ、すげえってハマったりするんですが、入り口としてモンキーズがいまだにあるわけですよ。モンキーズの後にサイモン&ガーファンクルも好きになったんだけど、どっちも今聴いても素晴らしいですから。そう思えるものに、子どものころに巡り会えたのはとても幸せなことだと思います。