2013年の『まちなかオンリー!』はライブの中で一番のターニングポイント
──では、ここからは20年の中でターニングポイントになったライブを振り返っていただきたいと思います。2000年の『ROCK IN JAPAN FES. 2000』でバンド形式の初ライブを行う予定が、悪天候で中止となり、同じ年の『SWEET LOVE SHOWER』で初ライブ。そして、翌年の『ROCK IN JAPAN FES. 2001』で大トリを務めましたね。
ジャパンフェスが中止になっちゃったのはでかいですよね。初めてのバンドでのライブのはずだったのに、出演予定だった時間にはもう帰りのバスに乗ってるっていう(笑)。『SWEET LOVE SHOWER』は野音で、風が気持ちよかったのは覚えてるんですけど、僕ら出番が一番最後で、<なんで最後なんだ?>って思ってました。僕の前で帰れば、<楽しかったね>で終わるから、もうみんな残ってないだろうと思ってたんです。でも、いざ出番になったらみんな残っててくれて、緊張よりも、その驚きの方が大きかったです。その日も雨で、寒かったから、<またか?>とも思ったし、とにかく<大丈夫かな?>っていう記憶ですね(笑)。
──その後は100sとしての活動が本格化していきました。
2002年の『博愛博+』のときに、高松で風邪をひいちゃって、次の日の広島のステージは“永遠なるもの”とか、キーが高い曲をセットリストから外してやったから、すごく短くなっちゃって。その申し訳なさは今でも引きずってて、四国とか広島に行くときは、いつもそのリベンジのつもりで行ってます。まあ、その頃の100sってすごい気合入ってたんで、<こういうの燃えるよね>って感じで、<こいつらとは一緒にやれるな>って確認した感じもありました。あそこでライブの洗礼を受けたというか、<てめえ、調子乗んなよ>って、ライブの先輩方からおしかりを受けたというか(笑)。
──2000年代後半はいかがですか?
『ALL!!!!!!』を出して、『百来々!!!!!!』をやった頃ですよね……その頃はもう何でもアリでした。池ちゃんにはレキシをやってもらったりして、<いいの?>って言いながら、30分くらいやってたりとか(笑)。<中村一義の楽曲をやるためのバンド>って感じがだんだん抜けてきて、それぞれの特色を出しても、みんなからリアクションが得られる形になっていきました。ただ、そうなるまでがホント大変だったんですよ。<中村何バンド組んでんだ?>みたいな感じで、まっちぃにペットボトル飛んできたりしてましたから。
──ソロアーティストのイメージが強い人からすると、バンドには違和感があったと。
ホント、ディスられる歴史なんですよ(笑)。全然比べものにはならないですけど、ボブ・ディランの気持ちをちょっとだけわからせてもらった気がします。
──でも、徐々にメンバー一人一人の個性が前に出てくるようになったわけですね。
100sはもともとトキワ荘だって言ってて、それぞれが自立して、いずれそれぞれが大きな大海に行くってことを確認し合いながらやってたバンドで、そこにみーちゃんもいたり、みんなでワイワイしながら、音楽研究をしてるみたいな感じだったんですよね。
──そして、「中村一義のバンド」から、100s自体を愛してくれる人が増えていったと。
そうなんですよね。でも、自分たちとしてはやれるところまでやったと思ったら、今度は<100sもうやらないんですか?>って言われるようになって、<オイオイ!>っていう(笑)。まあ、100sは僕にとってすごく貴重な時間で、そう簡単に逆戻しはできないってことも噛みしめながら、6人全員やってたんで、その分制作もライブも濃かったんですよね。
──その後は再び中村一義名義で『対音楽』を完成させ、デビュー15周年の『楽演 2012』があり、2014年に初の『エドガワQ』を開催しています。
ターニングポイントとしては、その間の2013年にやった『まちなかオンリー!』がすごく大きいですね。ここで僕のパフォーマンスがガラリと変わったというか、変えていったんです。ただ出ていって、セトリ通りの曲をやるっていうだけじゃなくて、喋るおっさんになりました(笑)。もともと口から生まれたような下町の人間なので、喋らせてもらえるならずっとしゃべってるんですよ。でも、100sはみんなの個性を出さないと、またペットボトル投げられちゃうと思ったんで(笑)、一歩引いて、みんなのキャラを見せるようにやってて。でも、『まちなか』は2人だけだから、俺がボケ側に回るしかない。そうやってトークを交えてやる形になって、寄席を観に行くみたいなノリというか、お客さんと一緒に作り上げるステージになった。それが今までのライブの歴史の中でも、一番のターニングポイントだと思います。
──『対音楽』でそれまでの活動に一区切りをつけて、その後はパフォーマンスの仕方も大きく変わったと。
『対音楽』まではレコーディングアーティストの時代で、幸いにも、そこに資本があってやれたっていうのは大きかったんです。でも、そんな時代が自分の絵巻と共に終わってくれたので、ある意味ちょうどよかったというか、ライブの方に一本一本のコンセプトを置きやすくなったんですよね。半分アルバムのことを考えながら、半分でライブをやるってことをしなくてよくなったというか、ライブにより集中できるようになったんです。
──『海賊盤』というアルバムは、その「まずライブありき」という考えが反映された作品でしたよね。
『対音楽』以降は、いろんな形態を作り出せたんです。まず『まちなか』を2人でやって、そこにヘルマンたちが集まって<海賊>になって、『エドガワQ』みたいな、構築型の、再現型のライブをやるときは<大海賊>でやる。そうやってカラフルにできるようになったのは大きいですね。さらには、今回の『20→』みたいに、他のアーティストとのジョイント型もできる。自分にとって同世代の人たちは、もはや同じバンドみたいなものというか(笑)、昔みたいにライバル心むき出しってこともないですからね。デビュー当時はちょっとそういう感じもあったかもしれないけど、でも、みんなによくしてもらっていて、サニーデイにしても、くるりにしても、その関係が今も続いてるのはラッキーだなって思います。せっかく同世代にひとつのバンド感があるんだったら、みんなで何かやりたいっていうのはずっと思ってたので、どんどん大きくして行けたらなって思いますね。
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