インタビュー/東條祥恵
ブレイクの予感ではなく、確信。ライブを観ていても超絶うまくて、スリリングで、エモくて、感動できて、売れる気しかしない。これから、間違いなく“PENGUIN RESEARCH”の時代がやってくる。前のめりすぎるほどの高速アッパーチューンの楽曲群に、限界までテクニカルなプレーヤーたちが鳴らす音数を詰め込んだスリリングなサウンド。高音、言葉数、毎回人間の限界超えに挑戦しているかのような歌がリスナーに熱く畳み掛けてくるのは「敗北の少年」たちが自らはい上がって夢に食らいついていく姿。PENGUIN RESEARCHのスリリングなサウンド、敗者復活戦を讃える歌がどこから生まれてきたのかを探る。
──PENGUIN RESEARCHを結成した経緯から教えてもらえますか?
僕は商業作家として(アーティスト/アニメ/ゲーム関連に)楽曲提供をしていまして。そのなかのベイビーレイズJAPANは楽曲提供しながらレコーディング、そのバックバンドもやってまして。その仕事で知り合ったメンツです。
──実はあたくし、ベビレも他の媒体で取材したりしているので。
──もちろん観ました!
ペンギンを組む前に僕らが武道館やっちゃったところを観てた訳ですね(笑)。そういう楽器陣と、ボーカルだけはまったく別で。音楽業界にはいなくて、地元で保育士をやってた人です。じゃあ、ここからは自分で話して。
僕は中3からずっとギターをやってたんですよ。歌うのも好きで。でも、地元ではそれでは食べていけないので保育士をやってたんですが。仕事をしてるとき「俺の一生はこのままでいいのか?」と思いまして。周りの楽器やってた友人が夢を追いかけて「俺、上京するわ」っていいだしたのを聞いて「どうせ1度きリの人生、何もあてはないけど上京しよう」と決めたんです。
──それで、すぐに上京したんですか?
いや、ずっと悩んでて。その相談を幼稚園の園長先生にしました(微笑)。「生田さんはこの仕事にすごく向いてるし、これからも続けて欲しい」と止められたんですけど。その話を聞きながら「あー俺やっぱ行きたいんだ」というのが分かって。そこで園長先生に「行きます」といっちゃったんです。
──保育士をやってる頃、園で「先生お歌上手いね」と子供たちにはいわれてたんですか?
子供たちにはいわれなかったです。そういうところで歌う声って違うんですよ。「お弁当お弁当うれしいな~」(←園の先生のように歌ってくれる)っていう歌い方だから(一同大ウケ)。みんなが知ってる俺じゃないでしょ?
うん。いま一瞬にしてジャージにエプロンしてる姿が見えた(笑)。
高校生のとき。楽器が趣味の奴が集まって一緒に演奏して、それを放送しようという場所があって。そこで遊んでた仲間だったんです。オフ会で1回ライブをやったときに実際に会って、音を合わせただけなんですけど。そこから6~7年空いて。今回バンド組むぞってなったとき、ボーカルがいなくて声をかけたんです。
──まず、ここまで聞いて疑問に思うのが、楽器隊のメンバーは堀江さんをはじめ音楽業界で仕事をバリバリしてた訳じゃないですか?そういう人がなんでまたバンドをやろうとこのタイミングで思ったんですかね。
そうなんですよ(微笑)。まだやってないことを考えたとき、出てきたんです。元々僕はずっと“バンドのロック”が好きだったんですよ。最初はゲームが好きで、そのBGMが好きだったんでそういうものを作る人になろうと思って商業作家をやり出した訳ですけど。もう1つ思ってたのは俺もいつかステージに立って、ベースという楽器でバンドをやりたいなということ。それをまだやってないなというのを思い出して。心残りになるのは嫌だから、1回はちゃんとバンドをやろうと思ったんです。と同時に、プロデューサーの方から「職業作家もいいけど、もう1つ自分のホームとなる場所。自分が好きな音楽やれる場所を作ってみたら?」と提案されたのもあったので。それもきっかけになってますね。
──なるほど。楽器隊がこのメンバーになった1番の理由は?。
演奏は後から上手くなればいいし。顔がダメだったら髪伸ばして顔隠せばいいだけだから(笑)。人柄ですね。踏み込んで付き合っても大丈夫そうで、一緒に長くやれる人を選びました。
──いまもみなさんはペンギンをやりつつ他のお仕事も並行してやられてるんですよね?
そうです。僕が曲提供しているのと同じように、ボーカルは声優もやっていたり、プレーヤーとして他のアーティストのレコーディグに参加したりということもやってます。他の現場にいって鍛えられた方が上手くなるんで。
──なるほど!でも、こうしてある意味、第2の人生として組んだロックバンドでメジャー・デビューまでできちゃったのはすごいことだと思いません?
僕はバンドにこだわったが故に過去に失敗したんで、そこでバンドは1回しまったんですよね。自分の胸の中に。そういう話を晶太君に相談したりしてて。今後はスタジオミュージシャンとして頑張ってみるかという決意を固めたら、ペンギンをやることになって(笑)。結果こうしてデビューできたことは、僕は本当に嬉しかった。叶えられなかった夢がひとつ叶えられたんで。だからすごいやりがいを持ってやれてますよ。ペンギンは。
僕も同じで。バンドをずっとやってたんですが、芽が出ずに終わってしまって。その次を考えたとき、バンドの誘いはあったんですけど、僕はスタジオワークやサポートの道も昔から興味はあったんでそっちの道を選んだんです。そのなかで神田さん、晶太君、よーよー(=柴﨑洋輔)と出会って。ペンギンに誘われたときは嬉しかったし「やるしかねぇ」という気持ちでいまもやってます。
僕ははっきりいうとバンドで食べていくというビジョンはペンギンやるまで1ミリもなかったです。高校のときに唯一組んだのがフュージョンバンドで。そのときから「バンドで売れるなんて無理っしょ」って思ってたので、キーボードプレーヤーとしてスキルを磨いて売れたいなという気持ちで仕事をやってました。僕はペンギンは恵大さんの紹介で入ったんですけど。楽曲を一緒に合わせたとき「あ!このバンドやりたい」とふと思って。このメンバーだったらスキルもあるし。僕も頑張れるなと思って入りました。
──バンド編成としてキーボードは必須だったんですか?
そうですね。最初に自分がやってた楽器はピアノだから、馴染んでるんですよ。自分の中のどんな引き出しを使っても対応できる編成がいいなと思って。ウチのボーカルは、ギターも上手いんで。