──グループとしても、メンバー同士の意識もバラバラだった訳ですね。そもそもデビューした頃のLeadはどうなりたいと思ってたんですか?
第一に掲げた目標は、セルフプロデュースです。振り付けも曲も自分たちでやりたいというのが、シングル4〜5枚目ぐらいから思い始めて。敬多は早い段階から振り付けはやり出してました。
僕はダンスで認められたい。ひたすらそういう思いが強かったです。自分にはダンスしかなかったんで。「Leadのダンス、ヤバいだろう」っていうのが全国に広まればいいなと思ってました。だから、僕の場合歌は後から好きになっていった感じです(微笑)
僕は元々ダンスを始めた頃からブラックミュージックが好きで、Leadはデビュー曲(『真夏のMagic』)からラップがあったので、そこでよりラップが好きになって。僕はラップ担当みたいな謳い文句がついたんですけど。でも、与えられたからやってるんじゃなくて、なるべくしてなって意志を持ってやってる。そこを認められたいと思ってました。メジャーでしかできないラップの形というか。Leadだからできるラップ。そういうものができればいいなという思いで、僕はいまもやってます。
僕は正直見つけられてなかったです。そこはすごい悩みました。ラップよりも歌のほうが好きだったですが、結果は薄情といいますか。レコーディングを重ねても自分の(歌う)パートは少なくて。Leadの立ち位置的には曲の前半はバックダンサーだったんです。
──そんな葛藤があったんですね。
この2人(自分と輝)はあったよね。
歌えて、2小節とか。
ああいうのが悔しいんだよ。
泣いたりしてたもんね。もちろん、いい人が前に出るべきだというのは大人になったいまだったら思うけど、当時は悔しくて。自分ってなんなんだろうって。そこから、この2小節を増やしていこうと思うのか、それとも違うキャラクターを見い出したほうがいいのかというのは考えましたね。元々おちゃらけるのが好きなんで、まずトークとかでそういう自分を出していって。とはいえ歌いたいんで、スタジオに通って歌い込んだりしましましたね。
──そんな風にみんなやりたいことをバラバラに追求していくなか、もう後がないっていうとき「HURRICANE」がLeadを救い、グループとして再生してくれた。
あれはまさに僕らの苦肉の1枚だったんです。でも、あれで結果が出せたから次のシングル「Wanna Be With You」が出せたんです。そのときは背水の陣じゃないですけど、いつ何を失っていいようにいまを全力でやっていこうと。この1枚が最後の1枚になるかもしれないという気持ちで取り組んでいったのが、「Wanna Be〜」、「Stand and Fight」、「Still」辺りの曲です。
──そこで、いっきにアクロバットを取り入れ、ストイックにひたすら踊るというダンスパフォーマンスにシフトした理由は?
きっかけは宏宜がドラマ『タンブリング』に出たこと。そしてBLUE TOKYOの(大舌)恭平が LIVEパフォーマーとして加わって。事務所でやってたダンスイベント<UNITED〜RISING DANCE FESTIVAL〜>もデカかったね。
あのイベントでLeadが1番だって思ってもらえるダンスパフォーマンス作りを目指したり。そういうものを通して、アクロバットを取り入れて酸欠になるぐらい振りを詰め込んで踊るスタイルが始まりました。
──えっ!あの「Wanna Be〜」からの3部作って、酸欠状態で踊ってるんですか?
全員 はい。
ヤバいです。歌もギリギリ歌えるぐらいのところを攻めて振りを詰め込んでるんで。正直キツイです。自分とも戦ってる感じなんで。でも、そこまでしないと伝わらないものもあるんだなというのもあれをやって分かりました。
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宏宜が残してくれたもの
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