インタビュー・構成/フジジュン
写真提供/オフィス男闘呼塾エンターテインメント
今年1月に最新アルバム『不良品』をリリースし、「メイジャー・デビュー15周年記念興行 ツッパリHigh School Musical『氣志團學園Ⅱ ~拳の中のロックンロール~』」を開催中の氣志團。メイジャー・デビュー15周年を記念して、デビュー年から現在に至る氣志團の15年の歴史を振り返るスペシャルインタビューを敢行! 15年を各メンバーに振り分けて、その年に印象的だった出来事や思い出を語ってもらう“15大トピックス”形式で行ったインタビューの第2回。他では語られることのない本音や真相は、熱心なファンならずとも必読です!
第2回 2007年〜2011年のトピックス
★2007年★
アルバム「SIX SENSES」(東芝EMI)発売。
「氣志團四天王presents 春のぽっかぽっかツアー2007」
「メンバーソロアルバム&ソロツアー開催」(白鳥松竹梅)
メンバーそれぞれがソロ曲を作ることになって、みんなは知り合いのミュージシャンに声をかけて曲を作り始めちょって。ワシもそうしようと思ったんじゃが、よぉ考えたらミュージシャンの友達がおらんことに気付いてのう(笑)。「もうええ、一人でやろう」と思うて、買ったばかりの機材で曲を作り始めたんじゃ。それで氣志團にとってのホワイトアルバムとも言うべき作品『SIX SENSES』には、自分なりに頑張って作った曲を収録したんじゃが、「この形態でツアーをやる」ちゅう話になって、そんなこと聞いてないから流石に驚いてのう。ワシ一人でステージに立つ勇気も無いんじゃが、それでもやるしかないと腹を括ってツアーに挑んだんじゃ。まぁ、自分の限界を感じさせられたツアーじゃったわ!(笑)打ち上げでもみんなはメンバーがおるから同じテーブルで楽しく呑んどるんじゃが、ワシだけ一人で寂しく呑んじょってのう。一緒にツアーを回ってたCeleb;PLAY(※編集部注:オフィス男闘呼塾エンターテインメント所属。孤高のヴォーカリスト憂喜が率いる5ピース・バンド。ラブソングしか歌わない)だけが「一緒に呑もうや」ちゅうて誘ってくれたんじゃ。あの時のCeleb;PLAYは優しかった(笑)。今、ソロをやれ言われたら、あの頃よりは助けてくれる人もおると思うんじゃが……。あとあの頃、DJ OZMAが始動して暇が出来て、ランマとユッキと「DJユニットをやろう」って話になって。ユッキの言うがままに100万円くらいの機材を買ったんじゃが、一度も活動することがなくってのう。ユッキには騙されたわ!(笑)今考えると何かやらなきゃいけないと思いながら何も行動が出来ない、ダメなクズ時代じゃったわ。
★2008年★
ベストアルバム「<KISHIDAN GRATEFUL EMI YEARS 2001~2008>『房総魂』 ~SONG FOR ROUTE127~」
「氣志團活動休止。氣志團は一回、解散しておけばよかった」(西園寺瞳)
個人的なニュースとしては『SIX SENCES』でやったTommy&The Bonjaskysでツアーを回って、ミニ・アルバム『We are The Bonjaskys!』を出したりしているんですが。氣志團としては、ベスト盤を出したくらいで、実質活動をしていないんですよね。ランマと一緒にベスト盤のマスタリングに行って、「このレコーディングはいい音録れてるね」とか話したのは覚えてるかなぁ……。この時期、自分たちでも活動を休止しているのかも分からない状態だったので、今になって「あの時一回、解散しておけば良かったね」って話すんです。そしたらツアー回ったりCD出したり、解散ビジネスが出来ましたからね(笑)。「それで5年くらい空けて、また再結成するのが一番良かったのかも知れない」って。そんな中、「来年から氣志團をやると翔やんが言ってる」と、本人ではなく人から聞きまして(笑)。「ホントにやるのかな?」と思いながら、翔やんから声がかかるのを待ってました。あと、よく「トミーはDJ OZMAが嫌いだった」と言ってますけど、それはネタです!一回ライブを見に行って、純粋に「凄いな」と思ったし、もちろん認めてたし。「こんな凄いエンタテイメントが出来る人と一緒にバンドやってたんだ」と思ったら、氣志團ももっと可能性を広げていけるなと思いました。活動を止めたことはデメリットの方が多かったかも知れないけど、一度立ち止まることで今まで気付けなかった部分に気付けたし、僕やランマは自分でバンドをやることでイニシアティブを取ることの大変さも学んだし。こういう機会があるバンドってなかなかないから、貴重な経験だったと思ってます。ただ実際に活動を再開してみたら、その代償は思ったより大きかったですけどね……。
★2009年★
氣志團現象2009 GIG AT THE BUDOKAN「鼓 動」を日本武道館にて2days開催。
約3年振りとなるシングル「おまえだったんだ/さよなら世界」発売。
「氣志團活動再開、こんなはずじゃなかった」(綾小路翔)
4月の日本武道館2DAYSは物凄い動員があって、怒号のような歓声が上がって。僕らもしっかり仕上げてGIGに臨んで、初めてノーギミックのGIGを行って、硬派路線に方向性を変えた氣志團はすごい良い幕開けを迎えるんです。ただその後、ライブハウスを回る『ON THE STREET』ツアーが始まって、3年ぶりのシングル「おまえだったんだ/さよなら世界」をリリースして。ここから受難の時期の始まりでしたね……。いざ走り始めてみたら、世間の反応が思ってたのと違ったんです。ライブハウスツアーもクオリティの高いパフォーマンスが出来たし、良い感じでタイアップも決まって良い曲をリリース出来た自信もあったんですけど、思ったような反応がなくて。DJ OZMAのインパクトが強すぎたんですかね?「こんなはずじゃなかった」と思いました。で、そこからはDVD『木更津グラフィティ』とか『ロックンロール・グラフィティ』ツアーとか、「世の中なんて、俺たちのことをなんとも思ってないんだ」くらいの完全な自虐に走り始めるんですが(笑)。僕らの魅力を伝えるのは映像なんじゃないか?と思って作った『木更津グラフィティ』も全然売れなくて。「もう、何をやってもダメなんじゃないか?」と落ち込むようになってきたのが、2009~2010年でした。現在も視界が晴れたとは全然思ってませんが、この頃はとにかく先が見えなかった。どんどん絶望的になっていく時期のスタートでしたね。
★2010年★
アルバム「木更津グラフィティ」(影別苦須 虎津苦須)発売。
「限定盤『木更津サリー』リリース」(早乙女光)
★2011年★
メイジャー・デビュー10周年を記念して、全30公演に及ぶTHE 対バン・対マンシリーズGIG「極東ロックンロール・ハイスクール」開催。
「ドキドキした対バンシリーズ、凄い人たちとたくさん対バンしました」(星グランマニエ)
対バンシリーズをやるって決まった時は、色んなバンドと一緒にやれることが嬉しかったしドキドキしましたね。でも始まってみたら、毎回対バン相手のコピーをしなきゃいけないから、すごく大変で。あの頃ユッキが全然練習して来なくてみんな困って、「覚えて来なかったら罰金にする」って言って。罰金制になったら、覚えてくるようになったんです(笑)。一週間に2~3本GIGがあることもあって、Dragon Ashとやって2日後に恵比寿マスカッツとやったりしていたから、気持ちの切り替えも大変でした。色んなジャンルの人と対バンして、みんな凄いなぁと思いながらやってましたけど、大好きだったユニコーンとやれたのは特に嬉しかったですね。ユニコーンが再結成してすぐのタイミングで、まさか対バン出来ると思ってなかったから、夢のような気持ちでした。ももいろクローバーZもその頃初めて知って、一緒にやってライブを見て「こんな凄い人たちなんだ!」って驚いたし。毛皮のマリーズはカッコいいなぁと思って見てたら、その後、すぐに解散しちゃって。一緒にやれて良かったなぁと思ったし。最後、DJ OZMAと対バンするのもすごく楽しみでした。最後がDJ OZMAと対バンっていうのも、氣志團らしくて面白いなぁと思いました。
>極東ロックンロール・ハイスクール GIG ARCHIVES
メイジャー・デビュー15周年 氣志團が選ぶ「15大トピックス」!