TEXT/兼田達矢
──前作から今回の新作『Music Diner』までの約2年半の活動のなかで大きなトピックのひとつに“森の音楽会”というライブ・シリーズを重ねてきたことがありますが、この企画はどういう思いで始めたものですか。
森大輔:そもそもは、ライブをもっとやりたいなと思い始めたんです。前のアルバムを出した直後くらいから。そこで“森の音楽会”というタイトルをまず思いつきまして、僕の名前から採ったタイトルではあるんですけど、毎回サブタイトルが付くので、そのサブタイトル次第で内容は毎回自由に考えられるな、と。しかも、毎回コンセプチュアルにやれるというのが自分にとっていいやり方なんじゃないかなと思いまして。それで、あのライブを始めました。
──「ライブをもっとやりたいな」と思い始めたのはどういう気持ちの流れだったんでしょうか。
森:前のアルバムを出したときに4都市でライブをやって、そのなかにはすごく久しぶりだった場所もあり、それで思うところがあったのかなあ。と、いま振り返ると感じるんですけど。そのときに、毎回終演後にサイン会をやって、お客さんと話したりすることを初めてやったんですね。その経験が僕には新鮮で、またライブに対する考え方も変わってくるきっかけになったのかなあという気がします。
──お客さんと直接コミュニケーションした経験を通して、どういうことを感じたんでしょうか。
森:音楽を作って歌うという、僕のなかでの優先順位というか重心の位置みたいなことだと思うんですが、いままではスタジオで作ることがまずありきで、ライブはそれに付随してくるものというふうに思ってたんです。でもライブに来てくれた人たちの話を聞くと、「音源を聴いて助走をつけて、ライブをいちばん楽しみに思って来ました」みたいな感じで、楽しみ方の順序が僕とは逆のお客さんがたくさんいることに気づいたし、楽しみ方の順序が僕とは逆のお客さんがたくさんいる事に気づいたんです。それで、「僕自身もお客さんと同じ思いになれるな」ということを当時思った気がします。
──そういう気持ちのなかで始まった“森の音楽会”を続けてきて、その過程でお客さんの反応や曲の解釈について何か感じたことはありますか。
森:これだけ続けてライブをやると、「前回もやったけど今回もやります」という曲があるわけです。そうすると、お客さんのなかにも前回も今回もその曲を聴くことになる人が出てくるわけですけど、その人たちの中からその曲に対して自主的に、例えば何か合いの手を入れようとか、そういう声が出てきたりしたんです。そういうことを僕は想定していなかったし、まして期待もしていなくて、ステージ上の演奏で完結するように考えていたんですけど、そういう思わぬサポートをしてもらえて、“これはライブをやっていかないと生まれてこないものだな”と思いましたし、客席側からのリアクションが多く返ってくるようになって想定外のことがたくさん起こるようになってきた気がします。例えば曲の尺を長く演奏したり、予定になかったアドリブをちょっと入れ込んでみたり、その場の判断でライブの内容が変わっていくことが増えてきたんですよ。
──以前はスタジオで完結していた楽曲に、ライブでお客さんに肉付けや装飾をしてもらうことを経験すると、次の“森の音楽会”までに新曲を作ろうとする場合に、その経験が何か影響したり、あるいは新曲のモチーフになったりすることはありましたか。
森:それは、けっこうありました。ある意味、僕もそういうお客さんの反応を期待するようになりますから、“こういうふうにすると手拍子しやすいだろう”とか“声を出しやすい部分があったほうがこの曲は盛り上がるだろう”とか、具体的に意識する場合もあります。もっと根本的な話として、いままではライブでその曲を聴く人の顔を思い浮かべて作ることがなかったんですけど、最近は聴かせる場所、発表する場所としてライブ会場というのがはっきり自分のなかでイメージできてるなかで曲を作るんです。それは、家族や友人にプレゼントを選んでるときのような感じというか、“これ、あげたら喜ぶかな”みたいな、それに近い気持ちがあるような気がしますし、その感覚というのはいままではなかったものだと思いますね。
──プレゼントを選ぶ際の考え方にも、欲しいと言っていたものを贈ろうということもあれば、逆にきっと予想していないようなものを贈って驚かせようとか、いろいろありますが、例えばアルバム1曲目の「monologue」はどういう考え方で生まれた曲でしょうか。
森:この曲を発表したときのライブのサブタイトルが「森のなかまが集まれば…」だったんですが、バンド編成でのライブですしワイワイやることを僕自身もイメージしてました。それで、お客さんもそのサブタイトルを見てそういう雰囲気を具体的に想像して来るだろうなと思ったときに、「monologue」というのは直訳すると“独り言”という意味ですが、まさかこんなマイナー・キーの重い感じの曲が出てこないだろうっていう(笑)。ある種、お客さんの予想を裏切りたいというか、「ちょっと驚いたでしょ?」と言いたかったところはありますね。
──逆に、みんなの予想に正面から応えようと思って作った曲はありますか。
森:ウ〜ン…、いま改めて振り返ってみると、例えば「雨に唄えば」というサブタイトルで「雨にうたえば」という曲を発表したときにしても、完全に期待通りというのとは違うというか、“えっ!?そうなの”という要素をどこかに入れ込みたいなという気持ちで作った気がします。「フルムーン」という曲は「月がきれいですね」というテーマで、季節は秋でっていう、わりとロマンチックな雰囲気のなかでのライブだったんですけど、この曲自体の歌詞に出てくる二人は全然うまくいってなくて、かなりギクシャクしてるっていう。
──十六夜の話ですから、もう月は欠け始めているわけですよね。
森:そうなんです。じつはフルムーンじゃないっていう、ちょっとした裏切りというか意外な要素を盛り込んでるんですね。「だれかのラブソング」という曲は、「夢であいましょう」というテーマで2時間のバーチャル・デートを楽しみましょうというコンセプトのライブで披露したんですが、クリスマスの時期だったから多分きらびやかなクリスマス・ソングを期待した人が多かっただろうし、実際にそういう曲調なんですが、歌詞の内容としては決して幸せなクリスマスを過ごしているとは言えない人の歌なんですよ(笑)。
──そういうふうに、普通の発想とはどこか違うひとひねりを自分の曲には入れ込みたいという思いが森さんのなかにあるんでしょうか。
森:まさにその通りでして、僕は聴く音楽もそういう曲が好きですから。そもそも音楽を聴いてるときには、誰でも多かれ少なかれ曲の展開を予想しながら聴いてると思うし、もしかしたら僕はその比重が高いかもしれないですけど、その予想を裏切られて、しかもその後に心地良さがやって来るような裏切られ方であるかどうかというのが僕のアンテナが反応するいちばんのポイントなんですよ。で、作ってるときにも同じことを意識してて、やっぱり作ってても飽きてしまうというか面白くないなと思ってしまうような曲は、良くないんです。僕自身が飽きずに最後まで面白いと思いながら完成させられる曲は、いい意味での裏切りポイントみたいなものをいくつか持ってる曲だと思いますね。
──歌詞を書く上で何か意識することはありますか。
森:歌詞は以前よりも書きやすくなってきたんです。以前は正直でありたいという気持ちがものすごく強くて、“自分だったら、こうは思わない”とか“自分だったら、こんなことは言わない”ということは書いてはいけないと思ってたんです。だから、テーマや言い回しも限られてきて、そのなかで苦しむこともあったんですけど、最近は1曲1曲ライブに合わせて書いているので、その中心に僕自身が必ずしも立っていなくてもいいと思うようになったというか、主人公が僕じゃなくていいやという曲がどんどん増えてきました。というか“主人公は僕じゃなきゃいけない”とか言ってられないくらい、いろんな曲を書かなきゃいけない状況になってみると、意外と面白く曲を作れるようになってきたということなんですよね。それから、歌詞を書いてて悩み始めたら、いったん止めることにしたんです。ただシャワーを浴びるだけでもいいし、もう少し余裕があるときにはちょっと出かけて1時間くらい散歩したりして、できるだけ気楽に過ごすことを心がけると、行き詰まってた先を見つけ出せるようになってきたという感じはありますね。その2つが、歌詞を書くことが面白くなってきてる要因だと思います。
──いまのお話などはかなり象徴的だと思いますが、森さんのなかでの音楽との関わり方、向き合い方が広がってきているというか、道筋が増えているような印象がありますが、ご自身ではいかがですか。
森:多分、そうなんじゃないかと思いますね。特に音楽の聴き方や、そこから得たものを自分の音楽作りに生かす考え方がここ数年で変わってきている感じがしていて、それは「今っぽいって、どういうことだろう?」とか、「今この時代に流れてくる音はどういうものが耳に“すっ”と入ってくるのか?」とか、あるいは逆に「どういうものが驚かれるだろう?」とか、そういうことを考えるようになったんですね。いままでは、小さい頃から培ってきた感覚だけで作ってたと言ってもいいくらいなんですけど、最近は資料として聴いた音楽からでも生かせると思ったものは自分の音楽でも試してみたりするし、“外”から新たに取り入れてるものも増えているので、そういう意味で今回のアルバムも音楽を作る視野というか守備範囲が広がってるといいなと思いますね。
──そういう感覚が生まれてきたときに、自分ならではの要素が薄まるような感じはありませんか。
森:いままで、時代の音や今っぽさみたいなことを敢えて無視してきたのは、自分ならではの部分が薄まってしまうという怖さがあったからなんですよね。でも、実際に“外”からの要素を取り入れてやってみても、そういう反応は出てこなかったんですよ。「こんなの、僕らしくないと思いませんか?」と僕から聞いたりもしたんですけど、そういう反応はなくて、だからだんだん怖さがなくなってきて、そういう要素を取り入れることは枝葉の部分のことなんだと割り切れるようになりました。というか、自分のメロディー感覚というのは変えようと思って変えられないし、自分の声で歌うとやっぱり自分の感覚になるなというふうに思ってきたんです。だから、曲を作るときに自分の印をちゃんと刻まないとみたいなことはむしろ考えなくなってきましたね。
──つまり、森さんの音楽の幹の部分というのは、メロディー感覚とそれを歌う森さんの声だと思い至ったということですね。
森:幹がそこにあることを表すのが曲を作ったりアレンジを考えたりすることなんだろうということでしょうか。そこをもっと掘り下げていくと、それは本当に言葉にできない話になっちゃうような気もしますが、言ってしまえば好き嫌いということなんですかね。好きなものと嫌いなものについては正直であり続けているということがいちばん大事かなと思っていて、好きなものを集めていけば、それが多分僕のシルエットになってくるのかなと思いますし、そこにはすでにいままでに取り入れてきたものも反映されてる気がするので、好きなもの/嫌いなものについて正直でいることを続けてさえいれば幹の部分が揺らぐことはないんじゃないのかなという気がします。
——5月のライブはどんなライブになりそうですか。
森:まだ漠然としたイメージの段階ではあるんですが、とにかくこのアルバムを隅々まで楽しめるライブになればいいなと思います。ただ、このアルバムはライブでやりにくい曲が多いんですよ。例えばボーカルが重なってるので一人で歌えないとか、それらをライブでどう再現するかということで頭を悩ませそうなんですが、でも「この曲はライブでやると、こうなるんですよ」という形を披露したいなと思いますね。それこそ音源を聴いて、助走をつけて来てくれたお客さんが“着地点はそこか”と納得してもらえるようなものを聴かせられるといいなと思っています。