インタビュー/森朋之
2016年12月1日(木)、日本武道館で「Act Against AIDS 2016 THE VARIETY 24 ~魂の俳優大熱唱!助けてミュージシャン!~」が開催される。
岸谷五朗・寺脇康文の呼びかけにより1993年から世界エイズデー(12月1日)に毎年開催されているこのチャリティーコンサートは、今年で24回目。今回もミュージシャン、俳優、タレント、お笑い芸人などジャンルを超えたキャストが出演し、収益金はすべてAIDSに関する支援として寄付される。
DI:GAでは同イベントの中心メンバーである岸谷、寺脇の両氏にインタビュー。「Act Against AIDS」の意義、今年の見どころなどについて聞いた。
──AIDSに関する支援を目的としたチャリティーコンサート「Act Against AIDS」が今年も開催されます。今年で24回目を迎えますが、これだけ長い期間に渡ってチャリティーを続けるのは本当に意義深いことだと思います。
寺脇康文 そうですね。もちろん長く続けることを目的にしているわけではなくて、毎年12月1日(世界エイズデー)にコンサートをやると決めて、毎年毎年「今回は誰にお願いして、どんなことをやろうか?」ということの連続なんです。
いちばんの目的は「レベルの高いショーを作る」というよりも、お客さまにエンターテインメントを楽しんでもらうことで、AIDSで苦しんでいる子供たちを支援するためのお金を発生させることなんですよね。
1年に1回のチャリティーですが、毎年、参加できる人が出来ることをやり続けて。24年目を迎えられたのは、その結果なんですよね。だって、本当はなくなったほうがいいわけですから、こういうイベントは。AIDSで苦しむ人がいなくなって「今年で終わりです」と言いたいのですが、そういうわけにはいかない現実があるので。
岸谷五朗 そうだよね。いま寺ちゃんが言った通り、寄付するお金を確実に残すことがいちばんの目的なんですよ。AIDSの問題の啓発だけを考えれば、ふたりでトークライブをやって、それをネットで配信すればいいかもしれない。でも、それだけではお金を残せないですからね。
2005年からはHIV感染率が高いラオス共和国の子供たちを支援していますが、病院に車を寄付するなど、実績と“モノ”を残していかないと。
寺脇 一度始めた以上、続けないといけないんですよね。「Act Against AIDSの寄付によって、ルーマニアの子供たちに1年間、食事を与えてあげることができました」と言われると「もし来年やらなかったから、その子供たちは食事がもらえないんだろうか?」と思うというか。もちろん義務でやっているわけではないですが、続けていくことの大切さは実感してますね。
岸谷 問題の大きさを考えれば微々たるものかもしれないですが、「みなさんのチケット代によって、こういうことが出来た」と報告できることが大事だし、それはチャリティーへの参加意識につながると思うんです。その日だけの特別なショーを楽しんでいただくだけで終わらせず、「これがAIDSの子供たちを助けることになるんだ」という実感を我々と一緒に持っていただくということですよね。
そのためには日本武道館という大きな会場で開催することが必要だし、毎年、すごく大変なんですけどね(笑)。スタッフも出演者のみなさんも、リスクを背負って協力してくれているし。
寺脇 仕事だったら出演料も発生するし、ビジネスとして話を進められるじゃないですか。Act Against AIDSはそうじゃないんですよ。五朗が自分の言葉でいろいろな人に話をして、その方が「やりたいです」と思ってくれて、スケジュールを調整できたら、ようやく出演してもらえるわけで。そこにはすごいエネルギーが必要ですよね。
──1993年から始まったAct Against AIDSのなかで、特に思い出に残っていることは何でしょうか?
寺脇 モーニング娘。がブレイクした時期なんですけど、俺と五朗、唐沢寿明さん、京本政樹さん、西村雅彦さんの5人で「イブニング親父」っていうユニットを作ったんですよ(笑)。
岸谷 伝説のユニットだよね(笑)。
寺脇 植木等さんみたいに、ステテコ、腹巻き、雪駄でハゲヅラを被ることにしてたんですけど、西村さんだけあえてハゲヅラを用意しなかったんです。そしたら西村さんが楽屋で「僕のがない、僕のがない」ってキョロキョロしてて(笑)。
岸谷 でも違和感がないっていう(笑)お客さまは間違い探しみたいな状態ですよね。みんなハゲヅラなんだけど、ひとりだけヅラを被ってないから。
寺脇 みなさん、すごく協力的にやってくれて。「イブニング親父」、5年くらいやってたよね?解散しては再結成して(笑)。
岸谷 そうそう。KARAが流行ったときは、城田優、三浦春馬、佐藤健、寺ちゃんと俺で「KORA」というユニットをやったんですけど、そっちのほうがレベルが高かったです(笑)。
──そういうエンターテインメント性も、このイベントの魅力ですよね。
岸谷 開き直ってがんばってます(笑)。
僕は1回目のAct Against AIDSが行われた前の年のことをよく覚えてますね。14歳のHIV感染者の女の子から手紙をもらったんですけど、彼女は何を怖がっていたかというと、差別なんですよね。「もし自分がHIVに感染していることが知られたら、どんな差別を受けるだろう?」という恐怖におののいていた。
それを払拭するためには知識というワクチンが必要だと思ったことがAct Against AIDSを立ち上げたきっかけなんですが、いちばん最初は日本青年館でシンポジウムを開いたんです。専門家の先生、DJのパトリック(1990年代前半にHIVキャリアであることを公表、正しい知識を伝える啓蒙活動を行った)に参加してもらったんだけど、思ったほどお客さまに来てもらえなかったんですよね。
そのときに考え方を変えたんです。「まずはたくさんの方に来てもらえるイベントにしよう」と。それからは観客を動員できるアーティストの方々に協力していただいて、会場を満員にすることを目指したんですよ。
もちろんAIDSの話はするんだけど、さっき言ったようにお客さまにはエンターテインメントを楽しんでもらって、その後「自分のチケット代がチャリティーにつながったんだな」と知ってもらえたらいいなって。
寺脇 続けてきて良かったと思いますね。もしAct Against AIDSを立ち上げてなかったら、みなさんのAIDSに関する知識もいまほど正しく広まっていなかったかもしれないですから。
気になる今年のテーマは…