1987年。沢山の人気バンドがストリートから登場し始め、いよいよあの空前のバンドブームが始まりだした頃。当時20歳そこそこだった僕も実はメジャーデビューを目指してバンド活動をしていた。
ギターボーカル担当で、詞も曲も全部僕が書き、しかもタチの悪い事に「自分は天才だ」となぜか思い込んでいた。
屋根裏、ロフト、ラ・ママ・・・ライブ活動を重ねながら、その後メジャーデビューした幾つかのバンドとも対バンし、その対バン達を見たりもしたが、それでも「うん、やはりオレが一番凄いな」と、いつも一番下手で一番お客さんが少ないバンドだったのになぜか自信だけはブレないという、今思うとかなりどうかしたいわゆる若気の至り時代だった。
そんな頃、友達のバンドを観に原宿のクロコダイルに行った。
友達のバンドの対バンはすでに「凄い」と噂になっていた、まだ見た事も聞いた事もないオリジナル・ラブだった。オリラブはトリで出てきて、演奏が始まりその身長が高く濃い顔をしたボーカリストが歌いだした瞬間に僕は思った。
「あっ、バンド辞めよう。こんなヤツに勝てるわけない」。
目の前に突然現れ一瞬ですべてを圧倒した本物の天才。その男が当時まだ21歳、デビュー前の田島貴男だった。
バンドのオシャレな雰囲気から出てきたその音や歌は、ロックもソウルもジャズも全部ごっちゃにしたような感じの全曲凄まじい展開やアレンジの嵐で、しかもワイルドでパンキッシュでもあり、歌詞もシニカルでブッ飛んでて、そのすべてが今まで聴いてきた何にも似ていない強烈な“オリジナル”だった。
ライブを観ながら自分を天才だと思い込んでいた僕は、「本物の天才」というパンチを一方的に打たれ続けるボクサーのようになり、見ててマジでフラフラになってしまった。そばでそんなライブを目をキラキラさせて見てる目立つ可愛いらしい感じの青年が二人いた。あとでロリポップ・ソニック(フリッパーズ・ギターの前身)というバンドの小山田圭吾と小沢健二という人だと教えてもらった。
そう、そこはまさしくのちに「渋谷系」と呼ばれるムーブメントが産声を上げようとしてる瞬間でもあったのだ。
その頃のオリラブのサウンドはインディーズ時代唯一リリースした傑作アルバム「ORIGINAL LOVE」で聴く事ができる。
その後すぐに、有名な話だが、そんなライブを見に来たピチカートファイヴの小西康陽がピチカートに田島を引き抜き、田島はオリラブとピチカートをかけもちしてた時期もあったが、途中からオリラブに専念し、91年に満を持してメジャーデビューした。
その後は皆さんご存知の通り、オリジナル・ラブは数々のヒットチューンも放ちながら、作品をコンスタンスにリリースし、ライブやツアーもずっと続けている
そんな田島貴男が最近「ポップスの作り方」という自身初となる単行本を出した。
タイトル通り、田島みずから自分の楽曲の作り方や、自分の思うポップスのあり方などをこれまでの自身の活動やバックボーンもシンクロさせながらつづっていく自伝的な作品だが、この本が非常に面白い。
「よいメロディは寝起きに一番生まれる」「曲を書いた時点で歌詞の方向はもう存在してる」などなど、読んでて唸ってしまう箇所も沢山あり、前記の通り僕は田島とほぼ同じ歳で、雲泥の差はあれど同じ頃にバンド活動してたという事もあり、当時の様々な活動のエピソードや、影響を受けた色んなアーティストたちのライブの思い出話など本当に共感しまくりで、何度もうなずきながら読みふけってしまった。
この本を読んで一番思った事は、やはり田島は本当に音楽を心の底から愛してる人なんだなあという事で、音楽以外のプライベートな話もほんの少しだけ出てくるが、それも結局いい音楽を作るための話で、結局自分の話全部そっちのけでホント楽しそうに音楽やギターを語り続けており、読んでると昔から音楽とギターの事しか頭の中にない音楽バカだった同級生の、話し出すと止まらない音楽話を自分の部屋でずっと聞かされてるような、懐かしい気持ちになり本当に楽しかった。田島自身も本書で「優れたポップスさえ生めれば、その人の人生や物語なんかどうでもいいのではないか」的な事を言ってて、田島のその人となりがにじみ出てるいい発言だなあと思った。
でも、そんな田島のライブパフォーマンスはというと逆にとても個性的で、世間一般のおしゃれポップスな田島のイメージとは違い、凄くアグレッシブな事で有名だ。
元々自分がパンクやニューウエーブ出身の爆発型パフォーマーだから、どうしてもライブがいびつになってしまい、いまだシュッとしたライブができないと告白してて笑ったが、でも、そういう田島の抑えようとしてもにじみ出てきてしまう爆発型アーティストとしての本質のようなものが、ライブや作品からいつも感じ取る事ができるから、ポップスリスナーのみならず僕らロックファンも、あの抜群に上手く素晴らしい歌声と、あの凄いギターテクニックで田島が極上のポップスを生み出し続けても、どこかはみ出してしまうロックンロールな田島にずっとわくわくドキドキし続けていられてるんだと思う。
今年デビュー25周年という事もあり、すでに凄い数の色んな形態のライブやイベントに出まくってる田島やオリラブだが、これからの年末も大好評ひとりソウルツアー番外編や、オリラブのアコースティッククリスマスライブ、そして年始には田島が司会やセッションやで大忙しのオリラブ主催の「Love Jam」や、そのあとは弾き語りツアーと続いている。
デビュー25年目、50歳にしてますますシュッとできず、まるで新人アーティストのように忙しくハデに動きまわる田島貴男の全盛期はこれから始まる。
横山シンスケ
49歳。12月お台場から渋谷移転するイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」店長・プロデューサー。その前10年間くらい新宿ロフトプラスワンのプロデューサーや店長。記事のエピソードは本当で29年前に見たオリラブが衝撃過ぎて、その後バンドを辞めた。東京カルチャーカルチャー(12月渋谷移転):http://tcc.nifty.com/横山シンスケ ツイッター:https://twitter.com/shinsuke4586