『ペニー・レイン』は、1967年2月に発表された14枚目のシングル曲で、こちらも両A面シングルとして発売され、片面は「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」である。ポールが自分の青春時代の思い出をシンプルな言葉で綴ったノスタルジックな名曲で、子供の頃にペニー・レインで見た光景や人の動きなどを素直に表現している。現在も実在している街角の床屋や銀行、消防署や車が行き交うラウンドアバウトなどを曲中に登場させ、何気ない日常の光景を立体的に描き出しているところは、さすがポール・マッカートニーである。大ヒットを記録したこの曲のおかげで、ペニーレインには世界中から訪れるビートルズ・ファンを乗せた大型観光バスがひっきりなくやってくるようになり、バスから降りてきたファンは一斉にこの場所で記念撮影を行うのである。1960年代のペニー・レインは、リバプールの中心につながっているいくつかのバス路線の終点で、ジョンとポールはいつもこのバスを利用していたのだ。
Penny Lane
Smith down Place, Liverpool L15 9EH
親としての資質が欠けていた両親からジョン・レノンを引き取って育てたミミ伯母さん。彼女のしつけは厳しく、ジョンは叱られるといつもストロベリー・フィールズ(写真上)に忍び込んで空想に耽ったという。ジョンが少年時代を過ごしたミミ伯母さんの家の近くにあったストロベリー・フィールズは、救世軍が所有していた孤児院の敷地で、かつては門の正面にはヴィクトリア様式の古色蒼然とした孤児院の施設が建っており、少年だったジョンにとってこの光景はまさにマジカルな空間として映ったのだ。この記憶こそがサイケデリックの先駆けとなった『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』の原点である。2000年にストロベリー・フィールズの門が白昼堂々と盗まれるという事件が起きた。幸いにも近所の子供達が一部始終を目撃していたので、翌日には市内のスクラップ置き場で発見され事なきを得た。その後しばらくは元どおりに設置されていたのだが、完成から100年以上を経過している門は老朽化が激しく、2011年5月に取り除かれ倉庫に保管されることになった。上の写真に写っている現在のストロベリー・フィールズの門は、地元の鉄職人ジム・バネットが制作・寄贈したレプリカである。両親の離婚、母の事故死など、少年時代のジョンの心に大きな傷跡を出来事の傍らには、いつもストロベリー・フィールズがあった。『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』はこういったジョンの負の体験を慰めてくれたこの場所への賛歌なのだ。
Strawberry Field
Beaconsfield Road, Liverpool ML25 6DA
リンゴ・スターが1970年に発表した自身初のソロ・アルバム『センチメンタル・ジャーニー』のジャケットに登場するパブ「ジ・エンプレス(写真上)」もビートルズ・ファンの聖地である。すぐ近くにはリンゴが少年時代を過ごした家も残っており、現在も多くのファンが訪れる。入り口のガラスにはこのアルバムのジャケットに使われたことが金文字で記されており、古き良き英国のパブ文化を忍ばせる雰囲気が漂っている。リンゴが幼少の頃、母親がこのパブで働いていたという。内部は典型的な地元のパブである。誇らしげに飾られているリンゴの『センチメンタル・ジャーニー』のジャケットとレコードの周りには、ビートルズのメンバーのイラストが展示され、それ以外にはこれといって目立つビートルズのアイコンはないところが好感を持てる。
The Empress
93 High Park St, Liverpool L8 3UF
ザ・ビートルズ『ペニー・レイン』
ザ・ビートルズ『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』
「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years」本予告
桑田英彦(Hidehiko Kuwata)
音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。